法学部の勉強はつらい!?法学部の誤解を解く①

勉強

こんにちは。弁護士のタトです。

突然ですが皆様は法学部での勉強にどのようなイメージを持たれているでしょうか?

「六法を覚えるだけで楽しくない」「生活するうえで法律にかかわることがないから、学んでも意味がない」「講義の中で堅苦しい用語が飛び交い苦痛」など、ネガティブなイメージが多い気がしています。

確かに法律を見てみると、漢字が多く、堅苦しい言い回しで書かれていますので、ネガティブなイメージを抱くのも無理はないです。

しかし、法律の勉強をし始めると、ネガティブなイメージは誤りであることに気づくでしょう。

もちろん、人によって向き不向きは多少あるとしても、少なくとも法学部での勉強が、条文を丸覚えするであったり、専門用語が飛び交うものではないことは確かです。

また、法律は日常生活を送る上で切っても切り離せない関係にあり、色々な場面はかかわることになりますので、法律を勉強するということは、日常生活で役に立つ知識を習得することに他なりません。

特に法学部に入りたての大学生、法学部では何をするのか知りたい方に向けて、法学部の実態を何回かに分けてお伝えしていきます。

法学部に入ると六法を覚えさせられるの?

六法を覚えさせられるという誤解

物理的に覚えることが不可能

まず法学部に入ると六法を覚えさせるということは明らかに誤解であるという点を声を大にしてお伝えします。

一般的に、六法とは六法全書を指す言葉です。

この「六」とは、日本において特に中心となる6つの法律を指しており、具体的には憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法の総称を指す言葉です。

そして、六法全書の「全書」は、6つの法律を含んだその他の法令を収録している書物を指します。

要約すると、日本において特に中心となる6つの法律に加えて、色々な法律が載っている書物が六法全書です(以下「六法」といいます。)。

では、この六法はどれくらいの量があるのでしょうか?

2024年3月発売の六法全書は、なんと6,574ページもあります。

学習用の六法というものがあり、それは六法全書よりもさらに法律の数を絞られていますが、それでも優に2,000ページは超えます。

そう、冷静に考えて六法を覚えるというのは現実的にほぼ不可能なのです。

法学部に入ると必ず勉強する民法でさえ、1,000を超える条文があり、これを一言一句覚えようとすると、それだけで大学生活が終わることになります。

このように六法を覚えることは、事実上不可能です。

法律の勉強は条文を覚えることを目的としていない

法律の学習は、ずばり「解釈の学問」といえます。

条文に書いてある文言を一つ取って、あーでもない、こーでもないと考え、深堀するということです。

例えば、民法第3条1項には、このような条文があります。

第3条1項 私権の享有は、出生に始まる。

この条文を簡単に説明すると「権利は産まれたら取得できるよ」ということです。

では、ここで考えてみてほしいのですが「産まれる」ってどういう状態を指すのでしょうか?

「産まれる」といった場合、母親のお腹から世にでた状態をいうことに異論はないでしょう。

しかし「母親のお腹から脚から頭まで全部でた状態をいうのか?」それとも「母親のお腹から身体が一部でも出た状態をいうのか?」の2択を示されると、意見が分かれるのではないでしょうか?

実はこの解釈は、相続と絡むところであり、もし前者をもって「産まれる」とすると、「母親のお腹から身体が一部が出た」だけでは産まれておらず、その状態では赤ちゃんは権利を取得することはできないことになります。

そうすると、例えば「母親のお腹から身体が一部が出た」⇒父親が死亡⇒「母親のお腹から脚から頭まで全部でた」場合、父親の死亡時には、赤ちゃんはまだ誕生しておらず権利を取得できないことになるため、父親から財産を相続することができない、という結論になります。

もちろん「母親のお腹から身体が一部しか出ていない」「全部が出た」というわずかな違いで大きく利益が変わるのはフェアではないため、民法の規定により相続はできるという結論になるのですが、このように「産まれる」(民法第3条1項でいう「出生」)の意味を考えていくことになります。

このように法律を勉強するというのは、存在する条文に書いてある文言をどのように解釈するべきかを考えていくことになり、六法を覚えるということではないことが分かります。

では六法とはどのようにかかわるのか?

自慢ではないですが、法律を飯のタネにしている私も六法の内容を覚えていません。

これは私だけが特殊なのではなく、他の実務家も同様でしょう。

なぜなら、六法は必要な時に都度参照すれば良いからです。

これは法律を勉強するときも全く同じで、勉強するときに六法を参照するのです。

したがって、六法は丸覚えするものではなく「学習の相棒」と捉えるのが丁度いいです。

結論

今回は、法学部での勉強で誤解される「六法を覚えさせられる」というイメージが誤解であるということを話してきました。

少しでも法学部に対するイメージが変わってもらえると嬉しいです。

ここまでご覧いただきありがとうございます。ではまた。

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